皆に会えなくて淋しい、のか?
住んでいるところに緊急事態宣言が出されているから最近家族以外の親しい人間と会っていない。最後に友人・知人的な人と実際に会って喋ったのは……3月26日か?多分。(それでも最近な方だよね、きっと)
3月27日から今に至るまで結構な頻度で巷で噂のリモート飲み会(とかただただ友人と通話したり)とかをしているし、SNSでも繋がっているし、最近では友人がオタク語りラジオを録ってくれたりもしているから会えていない、というだけで全然喋ったりはできているんだけれども。
必要なとき以外表に出られない、ということ自体は私にはあまり苦にならない。元から用事があるとき以外あまり外に出ないので……
ただ、行動に制限がかかることで限られた人生の時間をいたずらに失っていっている、という感じは悲しい。
室内での時間を例えば星野源さんのようにクリエイティブに過ごしている人もいる訳で、あそこまでじゃなくても勉強だって練習だってゲームだって家の中で出来ることも腐るほどあるんだから、本当に悲しむべきなのはそんな理由で"いたずらに時間を失う"ことになる己の懸命で無さかもしれないけど。
(これは楽器だって語学だってなんだって"できたらいいな"とは思う癖にこれをチャンスと学んだりしない自己への反省であって外出できないことを嘆く人全体に当てはまることではない)
後純粋に外食できないのが悲しい。好きなイタリア料理屋とか串揚げ屋とか鉄板焼き屋とかに行きた〜〜〜〜〜〜い。
近所の店の物をテイクアウトで頼む、みたいなことはたまに試みているけれど。
生活しているだけで移るような未知の感染症って本当に嫌ですね。既知でも嫌だけどさ。
死に至る可能性のある病だとしても、自分が死ぬかもしれないだけならまぁ自業自得だからいいんだけど、自分のせいで他人を殺すかもしれないって最悪だもんな。これだけ大きな問題になっていると"社会"をじわじわ殺している感じもするし……
こういう話はきちんと調べないと変なこと書きそうだからやめよう。はい。
ここからが今回の本題。
"皆に会えなくて淋しい"みたいな言葉を頻繁に見かけるし、私も漠然と"好きな人間達に会いたいな〜"と思ったりする。
でも、落ち着いて考えると私の場合、言うほど今までと違うか?という気もするんだよね。
確かに今まではそれなりの頻度で友人・知人達に会って雑談とかはしていたけど、雑談は電話でもできるし、前述したようにビデオ付きでオンライン飲み会とかした人もいるし、現実世界で会ってるのとそんなに違うか?という。
キスやハグを凄くするタイプだとか、どんな程度にしろ肉体的接触を持つ相手がいる人はそりゃあまぁ淋しいだろうと思う。でも私、友人にキスしたりハグしたりしないし……手を繋ぐこともない。普段は。
まぁたまにはハグしたり手を繋いだりもするけど、会ったとしてもそんな肉体的接触が生じる日の方が少ない気がする。
友人以外でも、とにかく私には頻繁に肉体的接触を伴うコミュニケーションを取っている人なんていない。
私が"対人すること"自体が脳に及ぼす効果とかについてずぶの素人だから知らないだけでまぁ触れていなくても"対人"自体が自分を癒してくれていたところもあるんだとは思うけど、なんとなく私が友人に会っていないことを淋しく思うのっておかしい気がしちゃうんだよね。
こんなことになる前でも、滅茶苦茶好きな人間に半年会っていない、みたいなことは割とあったし。
会おうと思えば会えるし一緒にやりたいこともあるのに会えないのが悲しい、というのはあるけどそれって淋しいとは違うよね、多分。
多くの人が"淋しい"と言っているからなんとなく勝手に共感してしまっているのかな。
私の友人は大体皆可能なだけ自宅待機をすることになっているからそれなりに暇を持て余していて私とも電波越しに遊んでくれるし、自分1人だけ遊んでくれる人もおらずにぼーっとするかもしれない未来より全然淋しくない気がするな。
まぁでも取り敢えずこの騒ぎがおさまったら折角だし皆を抱き締めまくろうと思っているので宜しくね。
それを機に友人のことは1回ハグし、手を繋いで歩く人になろうかな。