bey’s blog

皆にブログを始めてほしすぎて自分がブログを始めました。

夢小説の話

 はてなブログのパスワードを忘れて設定し直すのも面倒で放置していたら最後の更新から3ヶ月経っていた。お久しぶりです。ベイです。

 

 今日は夢小説 (pixiv百科事典に飛びます)の話。

夢小説の中でも特に自己を特定キャラクターの恋愛対象として物語に入れ込むタイプの夢小説の話です。

取り敢えず先になんで今夢小説の話をしようと思ったかを説明します。

 

 今日の昼間に色々なバーチャルYouTuber(以下VTuber)の方の配信の切り抜きを見ていたら、ある方(以下"A"さんとする)が

「皆妄想の中で自分と恋愛関係だったことある?もしあるならどんな感じだったか教えて欲しい、人の妄想とか聞くの好きだから」

みたいなことを仰って、ファンの妄想の内容をマシュマロで送ってもらって読む、という動画に行き着いたんですよ。

その動画内で送られてきたマシュマロの中に

"自分がAさんに肉欲を向けていることがAさんにバレて、蔑まれつつ肉体をいじめられる(意味深)"

的な内容のものがあって(注1)、それに対してAさんが

「同人誌の展開やめぇや!別に僕じゃなくていいじゃんそれ!!あ、でも僕が好きだから僕であるべきなのか」

と仰っていたんですよね。

私はこの「別に僕じゃなくていいじゃんそれ!あ、でも僕が好きだから僕であるべきなのか」という言葉を聞いて本当に仰る通りだよな、と心動かされ、夢小説についてのブログを書きたくなりました。

 

 前ブログに書いたかもしれないし私の友人は大体知っていると思うんだけど、私は夢小説畑の人間ではありません。

他者のキャラクター解釈を聞くのは好きだから、もし〇〇が〜〜の状況に置かれたらどうするかとか、〇〇と△△が付き合っていたらとか、○○に恋人がいたらとかそういう二次創作全般聞いたり読んだりするのは好きだし、地雷がない雑食だから友人からは節操無しの消費者だと思われているし、夢小説も全然読めるんだけど、"自己を投影して疑似恋愛小説を読みたい!"みたいな気持ちは無い。

乙女ゲーとかギャルゲーもやってた方なんだけど、あれも自分とは別人格として楽しんでいたから多分そういう自己投影みたいなもんに適性がないんだと思う。

どうぶつの森とかは主人公を己の望む形として投影していた気がするけどそれも喋らない主人公だからできたことだよね多分……

 

まぁでもとにかく夢主(夢小説の主人公の意≒自分)とキャラクターが恋愛関係になるような二次創作を選びとってたくさん見ることってほとんど無い。 (「ほとんど」と書いたのはトンデモ恋愛体質のキャラクターの場合"恋愛関係にならない"ことの方が不自然になる場合があるからです)

そんな感じなら夢小説なんてわざわざ読むなよって話かもしれないんだけど、私モブ視点の二次創作というものにはかなり興味があるんですよ。

エル〇〇ン・スミスやマイ〇〇フト・ホ〇〇ズと政略結婚を余儀なくされ切り捨てられる嫁(扱いはほぼモブ)が主人公の夢小説とか、衛〇〇嗣の愛人A視点の夢小説とかはメチャメチャ読みたい。こういうモブになる夢小説も真っ当な(?)恋愛モノみたいに一応ジャンルとして確立されているはず。知らんけど。

 

 なんでこういうものなら読みたいのかというと多分

"代替の利かない存在としてキャラクターに影響を与える人格"

が介入することで起こるストーリーでなく、

"人物としては代替が利きまくるけど、特殊な立場(キャラクターの婚姻者等)を得ることによってキャラクターの人格にはさほど影響を及ぼさず、しかし特殊な視点でキャラクターを観察できる存在"

から見たキャラクターの在り方を見ることで筆者がそのキャラクターをどのように解釈しているのかを知りたいからだと思う。(文がややこしくて申し訳ない)

 

例えば、情に厚いキャラクターなら、

(特別好意がなかった相手でも婚姻関係を結んだからには優しくするだろうけど、この筆者様の解釈するこのキャラの優しさはどんなもんなのかな)

とか、野望を叶える過程で死が確定しているキャラクターなら、

(どれくらい死後夢主に迷惑がかからないように生前に準備をしているかで筆者様がどれくらいキャラクターが自己中心的であると考えているか分かるな)

とか。

もし解釈が一致していたら(やっぱりこのキャラクターはそういう最低さの持ち主だよな……!)という共感でめっちゃキマるしアガる。

解釈が一致したときの興奮ってどこからくる何なんだろうね。好みの味付けの料理が出てきたときの感動に近いものか?

 

(勿論キャラクターに影響を与えるほどの人格がある夢主の作品でも筆者様のキャラクターに対する解釈を感じることができる良作は沢山あるんだけど、唯一無二の相手から与えられる影響を描くためにはそれなりの説得力が必要になり、必然的にストーリーも長くなり、私は愚かで移り気なオタクだから読まながちなんですよね……)

 

 そんでここからがやっと今日の本題に近い話(だし最悪の話)なんだけど、私は上記みたいな感じだから他者が書いた夢小説を読んでいる最中に

(この夢、相手がこのキャラクターである意味ってあるか?)

と思ってしまうことがあるんですよ。

 

こう書くとマジで最悪なんだけど決して他者を否定する意図はないと改めて表明しておくね。

 

(自己投影恋愛系統の)"夢小説"というジャンルであるなら、夢主がその小説中に描かれたような存在である意味、必然性は絶対にあるじゃん。夢小説の主人公って夢主であって夢主がなんとかなるための物語でしょ?多分。筆者様の書きたかった存在が恐らく殆どそのまま投影されているはずだし。

だから夢主がどんなにチートだろうとなんだろうと全然なんとも思わないんだけど、

(この夢主がこのキャラクターと出会ってこういう風になるの、何故だ?こういう優しさを期待するなら☆☆(別キャラ)の方が適任では?)

みたいなことを考えてしまうときがあるんだ。

 

勿論そんなこと筆者様には言わないし二次創作である限り筆者様の想定する正しさが正しいと思うんだけど。

でもそうなると(この筆者様には私に見えているのとは違うようにこのキャラクターが見えているようだけれど、一体どういう解釈をしているんだろう?)みたいな方に興味が持っていかれちゃうんだよね。

 

 そこで冒頭の話に戻るんだけど、どのような過程を経るにせよ「別に僕じゃなくていいじゃんそれ!あ、でも僕が好きだから僕であるべきなのか」という言葉にあらわれるような、"己がそのようであれと望むからそのようであれ"ということが二次創作においての真理だなと改めて思ったんですよ。私の"夢小説"という土台に対する考えが足りなかったなと。

人間関係においてどのようなことが起こり得るかって九割九分九厘は己の手中に無い事象に左右されているじゃないですか。

それこそどこで生まれてどのように育ち、どんな言語を母語として用いるかでコミュニケーションをとりがちな相手って全世界の中で割と限定されてしまうと思うし、コミュニケーションを取るには己からのアクションも必要だけど相手が受容してくれることも必要だし。

そういう偶然が積み重なった上で人間は他者に好意や嫌悪感を持っているわけじゃないですか。

 

私には今好きな人間が多くいるし、好きになったきっかけは多分言葉にして説明できる要素の集合だけれど、その要素を全て兼ね備えた人間が今新たに自分の目の前に現れても、既に好きな人間達に対する愛着みたいなものをそう簡単にポイっとは捨てられないと思う。

恋愛色の強い夢小説についても同じようなところがあるのではないか?という。

私が現実世界の恋愛と縁遠いからその発想を忘れていたところもあると思う。

 

例えば私は言峰綺礼のことをとんでもなく可愛いと思っているし大好きだけれど、言峰綺礼と恋愛関係になりたいとは思わないし、言峰綺礼にいわゆる"恋愛"が可能だとも別に思っていない。 なんなら懸想して幸せだろうと思うのはクー・フーリン(ランサー)だし。

恋愛関係に発展することができる言峰綺礼は多分私が今可愛いと思っている要素が欠けてしまっているとすら思う。

そういう風にキャラクターを解釈して、ある程度要素をまとめて可愛がっているから"この夢、相手がこのキャラクターである意味ってあるか?"という疑問を抱いてしまうことがあったんだと思うんだよ。

 

夢小説の中の恋愛って普通の恋愛と(多分)違って、

出会う→好きになる→恋愛関係に発展する

という流れじゃなくて

キャラクターとして認識する→好きになる→夢小説のなかで恋愛関係に発展する

ということができるわけじゃないですか。

 

"恋愛関係に陥る(≒関係を深めていく)に当たって、こういうときにこうであるあなたが好き"

というのではなくて、

"あなたが好きだからこういう(例:恋愛)関係に陥りたい/陥らせたいのだ"

ということが一方的に可能なのがもしかしたら二次創作特異的にいいところなのかも、と「別に僕じゃなくていいじゃんそれ!あ、でも僕が好きだから僕であるべきなのか」という発言を聞いて思った、というのが今日の『夢小説の話』で言いたかったことです。

 

 いやこういう風に解釈するならどこまでを"キャラクター"の本質とし、どこを好きになったらキャラクターを好きになったと言えるのか、どのような要素がキャラクターから剥ぎ取り可能なのか、みたいな議論が始まっちゃうのがオタク達の心持ちかとは思うんだけど、今日その話もするとキリがないから取り敢えず許して流してほしい。

原作から離れて何かしらの想像をしたら我々は同じ穴かせいぜい隣の穴の狢だしね……

 

とにかく恋愛系の夢小説において"このキャラクターとこの夢主である必然性があるのか"というのは多分愚問だなと思ったんです。恋愛って多分必然性が無いからね。わからんけど。

"恋愛関係にある"ということが逆に必然性を生んでいる、あるいは、普遍性を生んでいるなかで今はこの2人のこの関係にフォーカスが当たっている、みたいに思うのがいいのかなと思ったというお話でした。

 

 夢小説と現実の恋愛を並列に語る前述がキモいし"人気作品の人気キャラクターである彼/彼女との恋愛"が意味を持ってしまうみたいなところも多分あるんだけどキリがないからちょっと今日はここでやめます。

 

久々に更新したと思ったら地獄の乱長文でごめん。

おやすみなさい!

 

 

(注1)肉体関係を持つ妄想等にも嫌悪感がないから送ってくれとVTuberさんが仰っていたのでこのマシュマロ主様に罪はありません