bey’s blog

皆にブログを始めてほしすぎて自分がブログを始めました。

"不純"にジャンル分けされる感情しか持ち合わせがない

 実験の片手間、めっちゃ文章書くのに適してる。それしかできることがないので……(データをまとめるとかそういうことをしたほうがいいよね……)せめて小説を書くとかそういう趣味があればな……ベイです。

 

 今日は"私には"純"に属する感情が全然ない"って話をする。

これ、この「エルヴィン・スミスやボンドルドは"可愛い"か? - bey’s blog」という記事を書いているときに思ったことなんだけど。

 

 この記事で私は"人間の弱み"を見て"可愛らしさ"を感じるって話をしたじゃないですか。

そしてこの記事で書いたように自分が可愛いと思うものをオタク仲間に話し、

「ベイさんは"そういうタイプ"だと知っているからベイさんの言う"可愛い"はそういう意味で捉えてるし自分もそういうのを"可愛い"と言うけど"可愛い"の使い方としては普通そうじゃないんじゃないか」

的なことを言われた会話の中で["キャラクターがクッキーを焼いている"みたいなほっこりする情景を表すにも"可愛い"という言葉を使うよね]という話にもなったんですよ。

この例を持ち出したのも私で、そういう情景を"可愛い"と表現するというのはなんとなく分かる。ただそういうシーンを見たところで自分自身が"可愛い〜!"と思うかというと、決してそんなことはない。"ああ、クッキーを焼いているな"くらいの気持ちしか湧かない。

 

その下敷きになる設定として例えば[お菓子作りなんて普段全くしないのに意中の相手が欲しいと言ったから四苦八苦しながら作った]というシチュエーションがあれば可愛らしいことだなとは思うけど、それも"健気で素敵ね"とかではなくて、"四苦八苦してでも相手が欲しいといったものを差し出そうとする心が乱された状態"みたいなもんに対して"可愛い"と思う。

これがもし[皆で楽しくお菓子作りをしよう!]みたいな感じだったら前述のように"クッキーを焼いているな"と思うだけ、よくて"平和だなぁ"と思うだけ。

 

そんなようなことをオタクと喋っているときに、[今まで"可愛い"と思っているときの心情だと思っていた感情って、"可愛いと思っている"という心情ではなく"劣情"なんじゃないか?]と思ったんですよね……

 

劣情とは

 

れつ じょう -じやう [0]【劣情】
① いやしい心情。
② 性的な欲望や感情を卑しんで呼ぶ語。いやしい情欲。 「 -をそそる」

三省堂 大辞林 第三版』 weblioからの引用

 

2番目とはちょっと違う気がするけど(というか2番目を含むかどうかを検討するためには"性的な欲望"というのをどう定義するかの話が必要で面倒だからやめるけど)「いやしい心情」っていうのはまさにそうだと思う。私が"可愛い"と思うときの心情って下品だもん。

 

己のペットとかを[食べちゃいたいくらい可愛い]と表現する人がたまにいると思うんですけど、私にとっての可愛いは本当そんな感じ。

可愛いと思うものって握りしめたくなったり踏みつけたくなる感じがある。

"あ゛〜〜〜〜なんて可愛いの、大好き、バリバリムシャムシャゴックン"

って感じ。

私の中の可愛いという感情は飢餓感に似ている気がする。可愛いものに対面しているとき、謎の焦燥感みたいなものに襲われることない?

"こんなに可愛いものが目の前に……どうしたらいいの!?"

みたいな。可愛いという感情を処理する適当な手段が分からなくて、取り敢えず己の手中(なり胃の中なり)におさめて落ち着きたい、みたいな。

実際に可愛くてどうしようもないからって人とかものとかを食い尽くしたことはない(誤解を招くなこれ、一片たりとも食べたことはないです)から食べたり握ったりすることによって可愛いという感情を処理できるのか分からないけど。

自分にとって"最高に可愛"くて処理ができないものを前にすると処理ができなくて苛々するけど、かといって"可愛くない"状態になるのも何処かへ行くのも嫌だから今自分の手で終わらせてしまいたい、みたいな感じなのかな……

 

こういう"可愛い"とか"好き"の感じ方をしている人って割といるんじゃないかと思う。

 

 自分の場合問題なのはそういう"劣情"チックではない"可愛い"とかそういう感情を持ち合わせていない(あるいは持ち合わせているとしても今パッと思いつかない)ことなんだよね。

上記のような可愛さを感じると心臓が締め付けられるような感じがして(前Twitterで見たけど推しとか見たときに胸が締め付けられて苦しい、みたいに思うのってあれ物理的にも心臓にダメージがあるらしいね。ときめきすぎると早く死ぬ……)ヴッ……てなるからこれは感情、patosだなって思う。

でも前述したような所謂"微笑ましく可愛らしい光景"を見て感じるのは説明できない何処かから湧いてくるような思いではなくて、世界や常識ありきの感じ(というか考え)なんだよね。

 

皆でクッキーを作っている→それは娯楽に分類される行為だ→平和なんだね→微笑ましく可愛らしいことですね

 

みたいな……

 

でもこれって皆もそうじゃない?

微笑ましく可愛らしいな!

みたいな感情が何の理論もなく湧き上がってくることってある??

もし"(倫理的に)本来幼子に対して抱くべき感情"というものがあるとしたらそれがそういう微笑ましい可愛らしさ、みたいなものなのかなと思うんだけど……母性というものを感じたことがないから分からない。動物の赤子を見て"可愛いな"と思うことはあっても私はバリムシャァ的な意味で可愛いと思ってるし、人間の赤子はそもそも怖がってるから可愛がってないし。

 

結局何が言いたいかというと、私にとって"これは"感情"だな"という実感を持って言える"可愛らしさ"ってそういう劣情に起因するものしかないし、そういう感情を動かされている、と感じるものを主に"可愛い"と言っている、という話でした。別に[可愛い]は感情からしか生まれないものだとは全く思わないんだけど、私が声高に言う"可愛い"はこういう傾向があるって話ね!

 

 皆はどうなんだろう?興味あるから教えて あわよくばブログ書いて

 

 この先は余談だけど、ここまで読んだ人はお気付きのことと思いますが、私はエルヴィン・スミスを食べたいです。

ちょっと進撃の漫画12巻49話、アニメ36話あたりまで(今進撃が手元になくてネットの情報だから大嘘つきかも)のネタバレをするしキモオタすぎるから普通の友達は読まないでほしいくらいなんだけど

 

 

エルヴィン、巨人に腕を喰われて退却した後だかそれよりもっと後だか前だか忘れたけど、熱出して松明持ったままぶっ倒れるじゃん(倒れるよな?これまで妄想だったらどうしよう)

あれ、まさに強い人の弱った姿すぎて私が巨人化できてかつあの場にいたら即座に巨人化して食べちゃったと思う。

一般の兵団員の前であんな……大丈夫なんですか?いつもあんなに強そうな団長が目の前で倒れたら興奮しちゃわない?(多分彼らはそれどころではないし生死のかかった状況で団長に倒れられたら最早腹が立つ人もいるだろうな)