bey’s blog

皆にブログを始めてほしすぎて自分がブログを始めました。

エルヴィン・スミスやボンドルドは"可愛い"か?

 結論を言えば私にとっては"可愛い"です。でもこの前知人と喋っていて人が"可愛い"と表現するものって結構てんでバラバラで面白いな!?と思ったので"可愛い"についてブログを書くことにする。

 

 この話、大体の知り合いはもう他の媒体で見たと思うんだけど、私はキャラクター等の"弱み"を"可愛らしさを感じるポイント"だと思っている節があります。

でも友人には[私は弱みを見たときの感情を"可愛い"とは言わない]というようなことを言われて(誤想だったらごめん)、そういう言葉の使い方の違いって面白いな!?と思ったんですよね。

 

 そんな会話になったきっかけは[メイドインアビスの映画を観た、ボンドルドの声が良かったわ〜]という話からだったんですけど、今公開中の映画だしネタバレと思われる箇所があるかもしれないのでネタバレをどうしても見たく無い人は見ないでください。

後私はマジでメイドインアビスどにわかの無知識、パッションだけで喋っていることを先に断っておきます。ごめんなさい。

 

メイドインアビスの映画、めちゃくちゃ地獄ってTwitterでいっとき話題になってたじゃん。あまりに話題だったから気になって、久々にメイドインアビスのアニメを全話見直して映画を観に行ったんですよ。

私は記憶力がゴミだから結構話を忘れていたんだけど、アニメ放送当時くらいにちょっとだけ漫画を読んでいたし、直前に友人とメイドインアビスについて喋ったから、今回の映画が「プルシュカが溢れちゃう!」のところなのは把握してた。

メイドインアビスってアニメも地獄じゃないですか。いや映画のところほどの地獄ではないかもしれないけど、リコの腕を折るシーンめちゃくちゃ辛くない?リコの叫び声を聞き、腕を折ろうとしているのを見守るのが物理的に痛そう過ぎて辛かった……

だから、アニメも辛いのに更に地獄と呼ばれるメイドインアビスの映画、どれほど地獄なんだろう!という期待を胸に(?)映画を観に行きました。

それでとんでもない地獄を覚悟していたんだけど、個人的にはそれほどではなかった。プルシュカちゃんが不可逆的に死んでいるという意味では最悪なんだけど、プルシュカちゃん自身がカートリッジになるとき意識が朦朧としていてあんまり痛がったりしていないし、更には白笛を遺して死ぬような希望に溢れた人間だから想像しているよりは地獄みはなかったんだよね……

いや、でも冷静に考えたら地獄だった気もしてきたわ。あれだけ希望に溢れて皆で冒険に行きたいと思っていたのに叶わなかったんだもんな。しかも大好きだった"パパ"とも何1つ思想上の理想を共有できていない訳だし……

憧れは理解から最も遠い感情だから仕方ないか……

 

いろんなところでボンドルドは"博愛主義的"と言われているのを見るんだけど、それは確かにそうなのかもな、と思う。

"博愛主義"と言ったときの"愛"をどれだけ理想的なものとして定義するかにもよりそうだけど。

彼、自分の"子供達"の名前やら夢やらを覚えていて、"子供達"から慕われてもいて、それでも"子供達"に執着は全然無さそうなの最早羨ましいまであるよ。プルシュカには"一緒がいい"と願われていたのにね。

ゾアホリックを手に入れた経緯も使う前のボンドルドも知らないから彼のあの倫理観の無さそうさはもしかしたらアビスによる影響なのかもしれないけど、でも彼より前にあの遺物を使った人間の精神をいくつも壊してきたような代物を扱えてるんだからきっと今の彼に至るような適性があったということだよね。

(倫理観の薄く見える)彼だからこそなし得たことが沢山あって、かつ彼を慕う"子供達"がいて、彼は子供らを"愛して"いたけど執着はしていなくて、自分自身は白笛を手に入れるため未来に夢を見て自死(精神が生きてて記憶の連続性がありゃそりゃあ私も全然死んでいいと思うけど)したことがあって……って、滅茶苦茶"自由"じゃありません?いいなぁ、ボンドルド。

 

 いやでも駄目だ、手元に漫画もないし映画も一度しか観ていない今アビスの"地獄さ"についてきちんと語るのは無理。だから取り敢えずなんで"可愛い"に至ったのか端的に書くわ。

 

 私はボンドルドの『あまりに人間性に欠けていて、"未知の先"を夢見て途方もない希望の持ち方をしている』という"救われ無そう"なところがとっても"可愛い"と思うんですよ。

人間って基本小さく弱いし生きる期間も決まっているじゃん。そんな中で強く生きていくってすごく精神力がいると思います。

凡人は様々な困難で折れてしまって、ボンドルドとかリコみたいに"気をしっかり" "憧れを持って" "前に進もうとし続ける"ってそうそうできやしないと思う。そういう意味では可愛いとかじゃなく彼らはとても強いし憧れる。

ただ、ボンドルドはあまりに視野が広過ぎて"幸せ"に程遠く見えるんですよ。リコはまだ幼いからよう分からん。ただまぁ今のところアビスの底に辿り着いたらそこに何かしら目的としていたものがある、と信じていそうじゃん。

それにレグと一緒に冒険できなくちゃ嫌だ、みたいに他人に執着する気持ちももっていそうだし。そういう執着心とか自分が信じているものがある方が簡単に幸せになれると思う。

 

ボンドルドにはこう、もっと救い難いものを感じる。

彼が多少なりとも執着を持っていそうなのはナナチだけど、ナナチが死んだら死んだで新たな"人間性を持った成れ果て"を作るために尽力し続けそうだしな……

 

さっきも言ったけど、人間、多少なりとも執着があった方が幸せになりやすそうだと思わない?

"己が執着しているものもまた己に執着している"ということで満足できそうだから。それか"己が価値を認めているものが己の価値を認めている"でもいいかもしれない。その方が多分健全だね。

でもボンドルドが執着しているものって"憧れ"だけらしいからなんというかこう……

"憧れ"って満たされることを知らなくない?彼にとっては恐らく知りたいことがまだまだあるんだろうし、"満足して死ぬ"ということが凄く難しそうなところに"生物としてのままならなさ" "満たされなさ"を感じて可愛いなと思うんだよね……

ナナチ/リコ/レグ(五十音順)に再起不能にされた肉体を持つ、彼らを見送ったボンドルドは一応彼らに憧れを託したようなことを言っていたけれど、彼は一応己が再起可能な状態で彼らに希望を託した(=彼自身も"その先"を見ることを諦めていない/諦める必要がない/諦められない)んだよな?

もし本当に全て"諦めた"としたらそれはそれで負の方向の人間性を持ちすぎてて可愛くなっちゃうし。

人間性が希薄なキャラは可哀想だわ、人間性がないままだろうが人間性を得ようが私みたいなヤツに[君は可愛いネェ〜〜]って愛でられるから。

 

 あまりに長くなりましたが最後に全然関係ないメイドインアビスの感想を言っていい?ボンドルド、CV.森川智之だからはちゃめちゃに良い声だし、はちゃめちゃに良い声の人が変なタイミングで

「かわいいですねぇ」

とか

「お腹の中まであたたかいですよ」

とか言うからめっちゃ笑っちゃった ど変態じゃん

この先最低で下品なことしか言っていないからキモヲタじゃない友人(はここまで読まないか)と18歳未満は読まないで

 

拷問シーンは嘔吐シーンと同じく特殊性癖の興奮でできてるなって思った。

黎明卿くらい片方が冷静でいてくれればリョナイケない人なんていないだろ。彼は凄い。彼の冷静さが辛さを緩和してどんなシーンでも       。

最低な話をしてごめん。

 はい。まぁ取り敢えずボンドルドの人間味の無さ故に幸薄そうなところが可愛い!彼に人間みがあるならそれはそれで"ゲス外道"として不完全で可愛い!というのが私の言いたかったことです。

 

 とにかく私は「メイドインアビスの映画、辛かったけどボンドルドの声が良すぎて笑っちゃったしボンドルド可愛かった」的なことを言ったんだよね。多分。そしたら友達に[私は彼を可愛いとは言わないと思う]的な返答をされて、

「ボンドルドじゃなくても、なんかこう強い人に弱いところがあるのって可愛くない?」

みたいなことを続けて言ったんですよ。そうしたら

「強い人の弱いところを見て"良い"とは思うけど、それを"可愛い"とは言わないなぁ」

と返されて滅茶苦茶驚いたんですよね。

私の親しいオタクの多くは多分そういう"強い人の弱いところ"を"可愛い"と言うと思うから。いや言わないか?これ私の妄想かな??

 

その後も

「(強く見えている人の弱みの例として)エルヴィンが"地下室へ行きたい"とか言うのも"めちゃくちゃ可愛い……!"って思う」

と言ったらその場にいた他の友人に

「えーーー、エルヴィンは可愛くない。」

って返された。なんか基本的に"強い人の弱さを可愛いと称する"ということがないらしい。

 

 むしろ私は強い人の弱いところを見て"良い"と思うとか、元々弱っちい/脆いものを見て"良い"と思う以外で"可愛い"という言葉を使うことがほとんど無いんですよ。

お洋服が可愛い、顔が可愛い、みたいな物理的特徴に対してはまぁ可愛いとそれなりに言うんだけど、「このキャラクターが可愛くて!」みたいな言い方をするときの殆どはそういう"弱くて/欠けてて可愛いでちゅね〜〜〜!"みたいな穢れた心持ちで言っている。

 そして"可愛い"って言ってるときのオタクって大体私と同じくらい穢れた心持ちだと思ってた。

酒に酔った緒方精次の可愛さもガッツが去った後のグリフィスの可愛さもそういう捻くれた可愛さじゃん。それ以外の"可愛さ"の方が馴染みがないんだよ。

 

 この話、親しいオタクにしたら「ベイさんは"そういうタイプ"だと知っているからベイさんの言う"可愛い"はそういう意味で捉えてるし自分もそういうのを"可愛い"と言うけど"可愛い"の使い方としては普通そうじゃないんじゃないか」みたいなことを言われてマジかよ〜〜!?となりました。私、視野狭窄に生きすぎだね。後上の文[そう]という文言を多用しすぎですね。意味は伝わるよな?

 

 まぁでもそんなこんなで私はひとくちに"可愛い"と言っても相手に伝わる"可愛さのイメージ"って全く異なるんだろうな、ってことを改めて感じました。

それに私も親しいオタク以外が「○○がめっちゃ可愛くて〜」みたいな話をしているときにそういう"弱さを可愛いと思う"的な気持ちで言っているとは思わないし。

 

 自分はそういう不純な気持ちで可愛いと言う機会が一番多いにも関わらず、他人が可愛いと言うときには違う意味を内包するものとして(無意識に)捉えている、というの、面白くない?

無意識に他人の言葉を"解釈"しているんだな、ということを実感しました。

自分の発言に対して"可愛い"みたいなことを言われるの、割と恥ずべきことだと思っていたんだけど、他人が言う"可愛い"ってもっと明るくて前向きな意味しか含んでいないのかもしれないよね。

もっとエルヴィン・スミスの話をしたかったんだけど長くなりすぎたから今日はこれで終わり!