bey’s blog

皆にブログを始めてほしすぎて自分がブログを始めました。

感想を書いたり言ったりするのも苦手って話

 文章を書くのは好きだし神字書きに7枚くらいある感想の手紙を差し出したくせに?って思うよね。ベイです。

 

 しかも私は感想文だのなんだのを書くのが他人から見ればそれなりに"得意"な方だと思うんですけど。実際は得意というより"自分は文章を書くのも読むのも好きなんだからちょっとは頑張ろう……"という意識が他の評価対象より働いていたというのがあると思う。自意識高い系のオタクあるあるでしょ、"国語が得意"。私は先生が好きだから歴史も好きでしたね。歴史好きもオタクあるあるだし国語の先生も好きだったけど。

 ちょっと話がずれるんだけど、国語の先生(声が大きい方)(同窓生は分かるよね)が前

「沢山文章を読んでいる人の方が文章が上手い傾向がある」

みたいなことをおっしゃっていたんだよね。真偽のほどは不明だが幼い頃に取扱説明書を片っ端から読んでいて良かったな!(絶対に違う)

 

 話を戻して、感想とか解釈を書くのって滅茶苦茶勇気がいりませんか?

この話、つい最近オタクともしたんですけど。

 

 大体の物事って、自分以外にも好きな人がいるじゃないですか。

例えば、以前ブログにも書いたけど私は割とエルヴィン・スミスが好きだったりTHE SHAPE OF WATERが好きだったりするんだけど、多分他にも好きな人がいるよね。

人間、特に興味のないものはなにを言われようがどうでもいいものだと思うんですけど、自分の好きなものに関しては褒められれば嬉しいし、貶されたら悲しいというのがおおよその感想だと思います。

ただ、それだけならいいんだけど好きの中でも解釈が違うとか、浅いとか、そもそもお前に評価されることが気にくわないとか、そう思われることもあるわけじゃないですか……

私はそもそも好きなものが全然無い人生を送っているし、身の回りに考察とかをするのが上手い人が多いから他人の話に「浅い/評価されることが気に食わない」と思うことはなく生きているんですけど。「解釈が違う」に関してはそれが私にとって気に食わないかといえばそんなことないし。

でも自分ごととなると、臆病な自尊心と尊大な羞恥心の持ち主だし自意識過剰だから勝手にいつでも他人に粗を探されているような、気に食わないと思われているような意識が薄ぼんやりとあるんですよね……

 

 これ、特にオタクにありがちなことな気がするんですけど (オタクじゃ無い知人が少なすぎてデータの母数が偏っているという話もある)、"語るからには知識を持たなくてはならない"という気持ちが結構あると思うんですよね。それ自体は向上心という意味でとてもいいと思うんですけど。

私は努力というものを一切しないで生きてきたタイプの人間の上、他人に何かを訊ねたり教わったりということも下手くそなので"知識がなくて何を言うのも恥ずかしいし勉強する元気も誰かに何かを訊くだけの元気もないし、自分が良いと思っているからまぁいいや…… "と思ってしまいがちなんですよ。

他人の好きなものの話を良かれと思って振って他人を悲しませたり怒らせたりするのは一番本意じゃ無いしな。

だからせめて、相手の反応を見ながら話せるという意味で文章で書くよりは電話するなり会って喋るなり、リアルタイムのやりとりの方がまだマシだと思います。

 

 

 前述のことをひっくるめて、私は自分の好きなものの感想を言ったり残したりということがあまり得意ではなかったんですけど、なんか最近歳をとって丸くなったのか世間と世界を舐め始めたのか、近頃はもう"別に学術的価値があると宣言している訳でもないし、私が正しいと声高に言っている訳でもないんだから己の心持ちくらい好きに言っていいか"という気持ちになってきています。

成熟した思考段階でも愚かしくても楽しめるっていうならそれはそれでいい作品ってことだしね。多方面から解釈しても崩れないのが良い作品というものだって先生も言ってた。(多分そういう意味じゃ無いけど。)

 

 今この話をしていて思い出したんだけど、昔Twitterかなんかで

「物語の解釈に正解はないけど間違いはある。明らかに自らの都合の良いように"曲解"している意見は否定されてしかるべき」

みたいな話と

「「雲という字を書いてください」と言われたときにどのような「雲」を書いても個性だが、「雷」と書いたらそれはもう目立ちたがりの悪ふざけみたいなもんだ」

みたいな話を読んだな。

だから何という訳でも無いんだけど、感想を言うときも解釈をするときも、どんな馬鹿みたいなことを言ったとしても、他人にとっての解釈違いでも、己が言葉を尽くした結果ならいいけどやっぱり自分の中ではある程度筋が通っていて誠実でなくてはならないよね……。

少なくともその文章の明らかに良くないところを指摘されたときに気持ちよく謝れるくらいには。

 

 ちょっと昨日の記事と今日の記事は全然面白いところがなかったけど許してほしい。本当はこの前ライブに行った感想とか好きなキャラクターの話をしたい気持ちがあるんだけどその話をするには前説が必要だと思ってライブが苦手な話とか感想を言うのが苦手な話をしたってだけなんだわ。

これは私にとって文章を書くリハビリだったということで許してほしい。

 

おやすみなさい!