bey’s blog

皆にブログを始めてほしすぎて自分がブログを始めました。

"言峰綺礼とフロイトについて"の話していい?

 滅茶苦茶久し振りだけど更新しただけ偉くない?偉い

 

 今日は"言峰綺礼フロイト"の話。

 といっても私はフロイトについてまっっったく詳しくないのでこの記事の全てが話半分だと思ってください。

 この前文学講義の授業で発表をしてくださった大学2年生(?)によって与えられた知識だけで全てを語ってます。

 

 この前、とある人の作品をフロイト精神分析に当てはめて考えた、というような作品解釈を聴く機会があったんですよ。そして私はキモオタだからその話を聴いている間割とずっと言峰綺礼のことを考えていたからその話。

 というか、言峰綺礼、あまりにフロイトに当てはめ易すぎて絶対以前にフロイト関連で言及されているだろうと思ったんだけど多分自明すぎるから誰も言わないのか全然見つからなかったから取り敢えず言うだけ言っとけば後から"二番煎じです!"とか言って怒られたりしないっしょ!というアレ。

 

 まず有名な考え方に"イド","自我","超自我"というものがあるじゃん。

 適当な知識で適当に述べるならば律するべきことからそれ以外の欲求まで何もかもが蠢いている場所が"イド",己の知覚している欲求と抑制の間の存在として、己の現実の振る舞いとしての"自我",欲求を抑制するおおいなる存在としての"超自我"みたいな。

 

 そしてこの前の講義の話を鵜呑みにするなら"教師"や"仏"(恐らく仏に限らず己を律するような法を持つ信仰の対象)はよく"超自我"として扱われるらしいんですよ。

 その点で綺礼ちゃんは完璧じゃない?人の不幸を愉悦とする性(さが)と産まれたときから染み付いている"超自我"とその教えによって苦しむ綺礼ちゃん…… 物語の構図として、ありがちにしろ完璧だと思います。kawaii

 少なくとも父からも引き継がれている"聖堂教会"としての立ち位置も。"親"という存在はそれだけで超自我的なものであることに加えて、そこに"神"が絡んでくるのも綺礼ちゃんが如何に抑圧を受けているのかというのを感じさせて素敵だなと思います。苦しんでいる人は可愛いので。

 

 後綺礼ちゃんは結局"目醒め"てしまってはいるけれど"自我理想"的な己を諦められず求めていそうなところも可愛いよね。ギルが唆さなかったら(zero時空の話をしています)彼はそのまま己の性を実感として理解しないまま死ぬこともできたのではないかと思うのだけどどうなんでしょう。

 心身に染み付いた宗教とめしいたまま心中するのと、その宗教と己に親和性が無いと認めるのとどちらが幸せだったんでしょうね。

 個人的には綺礼ちゃんは趣味が悪いけど良心を失っていない(というか良心というものの在り方を理解していなくはない)ように見えるからより可哀想だなという気がします。なんというの、殺す気で殺すのはいいけれども死にゆくものを無為に見捨てるわけにはいかないというか……

 全然説明しないまま数百字くらい書いてしまった気がするけどそれこそ"理想自我"の在り方が綺礼ちゃんの"愉悦"とは遠いところにあったのではないかなという気がします。

 綺礼ちゃんとしては人の誕生を尊び、死を悲しみ(という表現が正確であるかは分かりませんが)、多くの善良な人々にとっての幸を幸福とできるような、そんな人間だったら彼は何に対しても疑いなく、幸せに生きていけたのではないかと。それが綺礼ちゃんかと言われると違う気がしますけど。

 

 そしてそういう"イド","自我","超自我"の板挟みがあったという目でみると、映画版のHeaven's Feelとかの綺礼ちゃんはzero終わりからしばらく経ってよっぽど自由に生きてるんじゃない?という気がしますね。

 彼が一度"理想自我"的な"超自我"に見合う存在であることを諦めたからなのか、 stay night以降の綺礼ちゃん(私はゲームをプレイした訳でもその後のシナリオを網羅的に知っている訳でもないんですけど)は随分とただの"可愛いお兄さん"に近づいたなという感じがするんですよね。

 彼の肉体はもう人間として鼓動を刻んで生きていくことを諦めた、いわば泥の塊な訳であって、綺礼ちゃんの意識の在り方としてもより"イド"に近づいたのではないかと。

 アゾット剣あたりからずっとイドの呼び声に転がり落ちてっている感あるけどな。その辺のことは今度もっとよく考える機会があったらよく考えてみます。

 ただ綺礼ちゃんが"イド"に近づいたとするならば"イド"は損と益で動くわけではなく"欲"の塊であるので頑張れば行動にも説明がつけられる気がしますが。 5次の綺礼ちゃん、あまりにいつでも楽しそうだもんね。 英雄王も泥によって残虐性が目立つ部分が誇張されているらしいので、5次の彼らはイドイドでいいコンビなんじゃないかと思わないこともないのですが。 ずっと思ってたことを言っていい?イドイドってあまりにsound horizonだよね。

 

 もう眠いし何言ってるんだか分からないからそろそろ辞めますけど、なんにせよ今日は"言峰綺礼は人間として生きていくのがままならなくて可愛い"という話でした。

 綺礼ちゃんのこと、今まで救われないなと思って見ていたけど、純粋な宗教家として己のイドを抑圧し続けた日々を超えられたという意味ではzero終わりで幸福になり、イドと超自我という対立し合うことが定められた命題を追い求め続けて疲弊し摩耗することなく命を奪われた時空(UBW等)は彼に対してこちらが想定できるなかなかの幸せの形であったのかもしれないと思いはじめました。

 

 requiescat in pace,綺礼ちゃん。